千葉県千葉市の加藤歯科・歯科医・歯医者では審美治療 ・メタルフリー治療・矯正治療 ・歯周病治療・インプラントの治療を行っております。
2017.06
大分の母が治療に来た話は以前に少し書きました。いろいろと考えるところも多く、症例として
取り上げさせてもらいたいと思います。Vol.63の編集後記に書いた文をそのまま写します。
「うちの家内が頭痛持ちだった話は以前に書いたと思います。歯医者なのに噛み合わせが悪く、夜 は歯ぎしり、食いしばりで歯を折るし、天気が悪くなると(気圧の変化)頭痛で痛み止めを飲ん で、ひどいときには寝込んでいました。それが幸いにして噛み合わせを治すことでほぼ完治していま す。家内の母親(87歳)が去年(2015)あたりから頭痛がひどく、先日の米寿のお祝いの席(嬉野温 泉)でも食欲がありませんでした。頭痛はだんだんと酷くなってきたようで、家内の妹に大病院に何 軒か連れて行ってもらって検査をしてみたようです。担当医はとても良い先生で「これ以上は痛み止 めの薬では治らない」と言って、それ以上の投薬治療はありませんでした。「もういい歳だし、遠い し(大分市)、今さら噛み合わせを治すのも大変だよね」と思って、我々が関与するのを見合わせて いました。脳神経関連の病気じゃないならば、ICCMOの先生しか治せないんだけど。ちょうど良 い巡り合わせで、2016年6月に長男の結婚式があり、初孫の結婚式だからということで、大分から やってくることになりました。もう千葉に来ることも無いだろうと思っていましたが、せっかく来る なら診てみましょう、ということで、口の中を検査をしてみました。たぶん、食いしばりのせいだ と思いますが、下の奥歯が割れていました。でも、骨粗鬆症の薬を飲んでいるので抜歯できず、大分 の後輩に抜歯を依頼することにしました。母親曰く、上の奥歯を抜いてから頭痛が酷くなったそう です。今の私の「目」で見ると確実に噛み合わせ由来です。6年ほど前に臼歯部にインプラントを入 れて噛めるようにしてあったんですが、上の奥歯が抜けたことで下あごの位置が、より奥にズレてい ました。奥歯同士の問題ならば奥歯を治せばなんとかなるかなという感じです。噛み合わせ検査を 元に上下奥歯の仮歯を熊本の技工所に依頼して作ります。できるまでに2Wかかるので、即席で簡易 型の噛み合わせ維持装置を作り、しばらく入れて様子を見る事にしました。大分に毎日電話して、様 子を聞くと多少良いような感じでしたので、2W後にもう一度来てもらって、全部仮歯に変えること にしました。7月に家内の妹とやってきて、初日に全部変えて昼御飯でチェック。そこそこ噛めるよ うでしたので、人体実験させてもらいました。それよりもワザと2ミリ高くしました。ホウレイ線を なくして、理想の顔にしたんです。たぶん、昔はここだっただろうという位置。(笑)夕食も食べ、 家で寝ていたら、夜中3時頃に「頭が痛くて眠れない!」と訴えがありました。残念ながら理想のポ ジションには戻れませんでした。背中が曲がってしまったので、現在の骨格がその顎位を受け入れら れないようです。翌日、最初にOKだった位置に戻して、大分に帰ってもらいました。毎晩電話して ますが、噛み合わせ位置を変えてから、特に頭痛は出ていないようです。まだ途中ですが、なんとか 治してあげることができそうです。世の中に原因不明の頭痛はたくさんありますけど、悪霊由来の頭 痛以外はなんとかなると思います。(笑)」
我々が結婚した当初何度か千葉に来た際に私が治療し
ました。しかし、右の写真の頃に奥歯がダメになり、
インプラントにすることにしました。たぶん80歳ぐ
らいの頃です。身体は非常に健康です。約1年ぐらい掛
けて右上と左下に計5本のインプラントを入れまし
た。その後、特に問題なく経過していましたが、左上
の7が虫歯になり、大分で抜歯をしました。どうやら
その頃から頭痛が出はじめたようです。久しぶりに
我々が見ると背中の曲がりが大きくなり、非常に無理
な姿勢に見えました。妹に聞いても気付いていません
でした。
2016.7.19のレントゲンで7の部位が無くなってい
て、右下が噛み割っていました。骨粗鬆症の薬を処方
されていたので、3ヶ月待って大分で抜歯をしてもら
いました。下の写真は仮歯に置き換えたところです。
頭痛はほとんど消えましたが、噛み方が変わったことに慣れるのが難しかったようです。最終的
に仮歯をすべてジルコニアクラウンに変えています。
「医療」とはもともと自分の大切な家族、友人を助けたいと思う心からスタートするものです。
今回、私に悪霊と闘う力があったから良かったですけど(笑)、89歳の女性が必死に「痛い!」と
訴えても治す「術」が無ければ薬漬けとなり、廃人となってしまったかもしれません。自分の母親
の苦しむ姿を間近に見て、噛み合わせがこれほどまでに大切であることを悟った家内の妹は私が矯
正を習っている福岡の歯医者まで行くようです。大分から3時間で通えるからね。(笑)
ひとこと11(Vol.4 2006.10月号)で「鹿児島時代の話(学生生活編)」を書いて、最後に
「医局時代編につづく」と終わりました。約11年経ってしまいましたが「医局時代編」を書いてみ
たいと思います。当時の医局のメンバーが参加する「鹿児島大学歯周病科同門会」が7/8に開かれ
ることになり、そこで30分ほど私が喋ることになりました。他に喋る人は私の1年先輩と2年先輩、
そして今の准教授、さらに時々私が話題にする初代の助教授で九州歯科大の元教授です。かなり
ディープなメンツです。非公開の勉強会なので、かなり突っ込んだ話になると思います。
私は鹿児島大学歯学部の1期生なので、医局の先輩は他の大学から来た人です。末田教授、横田助
教授は東京医科歯科大学の助教授、講師だった先生がペアで昇進しやってきました。まだまだ教授
の権威のあった時代で、今とはずいぶんと違ってしまいましたが、うちの医局のカラーは良い意味
で「自由」。医局はオープンで楽しく生活していました。国立大学の教員の仕事は研究、教育、病院
での診療があります。研究ばかりの人や診療ばかりの人など、臨床系の教授は偏っている人が普通
なんですが、うちの教授は珍しくバランスの取れた人でした。東京医科歯科大学の歯周病教室は日
本の歯周病の世界では非常に有力なところで、ある意味で最先端の診療をしていました。そこのNo.
2だったわけで、他の教室の教授が「教授会の中で、あの人は掃き溜めに鶴」と言うぐらいだったよ
うです。と、言うのも内側にいるとそういうことはあまりわからないもので「午後から年休取ってゴ
ルフにいきました」とか、「蝶々を捕りに行きました」とか、遊びの方の話が
多かった非常に多趣味な先生でした。以前に書いた脳腫瘍で死んだ友人と教授
をイサキ釣りに誘ったこともあります。イサキよりもサバが大量に釣れました
けど・・。(笑)数年前にゴルフを再開しましたが、ゴルフをやり始めたのは医
局時代です。夏の医局旅行は必ずゴルフコンペなんで、学生が夏休みに入るとヒ
マができるのでゴルフに行くんですが、鹿児島の夏は暑い!若かったから死な
なかっただけです。まだ「熱中症」という単語が知られる前の時代に、医者の
息子である同期生は実家の病院で点滴を受けたほどですから・・。
診療の方は最先端の歯周病治療という認識はありません。なぜなら我々はそういう教育を受けて
きて、ただそれを実行しているだけですから。ある意味で教育って、洗脳です。はじめから聞いてい
るから当たり前。でも、これは日本ではレアな治療であり、最先端だったんですね。その証拠は地方
国立大学の医局から多くの教授を産み出しているからです。同門会に所属する教授は6人です。新潟
大学の病理学の教授、九州歯科大、昭和大学、北海道医療大学、鹿児島大学、東京医科歯科大の歯
周病学の教授です。たぶん、末田教授が相当な実力者だったんでしょう。医局員には教授は遊んでば
かりいるように見えてましたけど・・。(笑)普通は地方国立大は天下り先なんですが、現在の東京
医科歯科大の教授である和泉教授は天下った先から舞い戻って元の大学の教授になりました。和泉
先生は私にとって非常に縁のある先生です。私は鹿児島大学を卒業したら東京医科歯科大学に帰って
くる予定で卒業の年の夏に挨拶に行きました。その窓口になってくれたのが和泉先生でした。当
日、教授は不在で、助教授に挨拶して、アスター御茶ノ水賓館で昼を御馳走になって、帰ってきまし
た。しかし、秋になって木下教授が急に亡くなって、私は行き先がなくなり、鹿児島大学に拾って
もらう事になりました。結局そのまま5年間お世話になりました。
歯周病の臨床では日本の最先端を担う講座の医局員だった(笑)4人で喧々諤々とやってきます。
とっても楽しみです。同門会は私の今までの診療の中でわからないことや疑問を本音で相談できる
数少ない場所です。末田教授も来ることになっています。現在87歳ですが、息子さんと都内で開業
していて週に3日も現役で診療を続けています。この先生にはいろんな意味でとても世話になりまし
た。多少は見習おうと思っているんで、私も少なくとも75歳ぐらいまでは診療をやらないといけな
いかもね・・。(笑)私の両親の平均寿命が75なんで、「死ぬまで仕事しろ!」ってこと?
統計的には小児の50%に不正咬合があります。これは全世界でほぼ同じ出現率です。そしてほと んどそのまま放置されます。その理由はそれが病気であると思われていないからです。5歳の子供の 「おねしょ」を「病気だ!」と言って病院に連れて行く親は少ないでしょう。イビキは?アトピー は?口がポカンと開いているのは?慢性の鼻づまりで耳鼻科に一年中通っている親子も多いでしょ う。耳鼻科の先生には誠に申し訳ないですけど、これは耳鼻科では治りません。じゃあ「矯正歯 科」で治る?治る場合もありますけど、大半は「中学生になってから来てね」と言われてしまいま す。実は歯科大学でも教えていません。だから「矯正専門医」もあのセミナーに来るんです。
実際の治療手順は、まずは「鼻呼吸」の改善を目指して上顎の側方拡大です。鼻 呼吸が確立するだけでも、もの凄く価値があります。ほぼ間違いなく将来の「健康 な人生」が付いてきます。(笑)「あいうべ体操」という口の体操を御存知の方も おおいでしょう。開発者の今井先生はリュウマチ患者の口臭がヒドイことから、口 呼吸と自己免疫疾患の関連性に気付いたんです。私は世の中の原因不明の病気と口 呼吸は非常に関連性が高いと疑っています。鼻呼吸の確立は将来の全世界の医療費 を激減させることができると思います。鼻呼吸の確立ができたら、下顎の骨を成長させて上下を合 わせていきます。・・・。と、言いますが、ヒトの成長はコントロールできません。ですから、こ の治療のスタートは早ければ早いほど治る可能性が高くなります。お口の中の歯型が取れる年齢以 上(約5歳程度)の子供さんが対象です。装置はこちらで必要と思う装置を入れていきます。途中、 子供の見た目がビックリになるんで、爺ちゃん婆ちゃんに怒鳴り込まれるかも・・。(笑)総額50 万円です。安くないけど非常に価値があると思います。母乳でシッカリ育て、手作り離乳食をシッカ リ与えて鼻呼吸を確立させることができたならば、必要の無い治療です。逆にそれが上手く行かな かった場合、この治療をしてあげたならば、今までの育児の失敗をかなり取り戻すことができると 思います。(笑)まあ、当然ですが、将来の歯並びもよくなります。