前回、「歯並びの良さ」と「噛み合わせの良さ」は違う、という話をしました。
歯科の世界で約30年に渡り「確固たる咬合論」とされていたものが、実際の臨床では「確固たる」ものではなかったのです。
それなら、大問題が頻発したのではないかと思われるところですが、もともとキチンとした理論の存在した分野ではありませんから、「噛み合わせ病」の患者さんは今までどおり、いろいろな病院や診療所に通うことになりました。症状として「頭痛」のある方は痛み止めを飲み続けます。肩こりの症状が出ている方は、「人間はみんな『肩こり』を持っているのであろう」と思ってしまうのです。「健康」な状態ではないのですが、それが「普通」になっていたのです。いずれは私にもそういう隠れた「不健康な」患者さんを改善することができるといいなあと思ってます。
「健康とは?」と聞かれて帰ってくる答えはさまざまでしょう。今回は私の「健康観」について「ひとこと」してみようと思います。
テレビ番組で司会者が「ザクロジュースが健康にいい」と言うと、その日のうちにマリンピアの健康食品売り場ではザクロジュースがなくなるそうです。
チョコレート、ココア、赤ワインなどテレビから不思議なヒット商品がいくつもうまれました。果たして今でも売れ続けているのでしょうか?健康を気にすることは良いことなんですが、なにか違っているような気がするのは私だけではないでしょう。
「健康の素」があって、それを飲めば「健康」になる、そういう感覚が強いですね。「味の素」は「うまみ成分」でしたが、果たして「健康の素」はいったい何なんでしょう?「Vita-amine」最初に発見された「ビタミン」は「健康の素」という意味だったらしいです。
果たして、その通りなのでしょうか?いろいろなサプリメント、健康ドリンク、自家製にんじん酒、病院からもらった薬・・。マジメに指示通り飲んでいる人も多いことでしょう。さて、「健康」になりましたか??
「健康」が、何故これほどまでにみんなに望まれているのでしょう。「自由論」で有名なJ.S.ミルという人が「幸福はそれ自体として望ましいものであり、それ自体として望ましい唯一のものである」と言っています。
この「幸福」を「健康」と読み替えても良いかもしれません。「健康」は幸福の大きな要素であると言ってよいでしょう。それほどまでに大きな存在である「健康」ですが、どうしても手軽な方法を選んでしまうのはなぜなんでしょう。
玄米が「健康」に良いと言われていることはみんな知っていますよね。
じゃあ、主食を玄米に変えたらどうなるのでしょうか?一般的に言われていることは、便通が良くなる。
玄米は良く噛まなくてはいけないので少量で満腹感がある。その結果として体重の減少がおきる可能性がある。
白米よりもビタミン類が多いので何らかの効果があるかもしれません。皆さん、玄米、食べてます?ウォーキングが「健康」に良いことも知られていますよね。
1日1万歩。去年あたりから春、秋の気候の良い頃になると、女性グループや御夫婦を見かけるようになりました。気候の良い頃には見かけますが、冬になると犬の散歩しか見かけません。「健康」はどうしちゃったのでしょう?
私はここ数年歩いて通勤しています。片道43分4400歩です。最初は興味本位で始めたのですが、今は私にとって必須のことになりました。
もともと肥満とは縁がなく、標準体型です。スポーツクラブの会員だったのですが、なかなか通う時間が取れませんでした。
ある時、スポーツクラブのウォーキングマシンの上で歩くなら、もともと時間もないわけだから、歩いて通勤すれば一石二鳥であることに気付いたのです。
歩き始めるといろいろと変化が起きます。安いシューズで始めたのですが、高級品を履くようになります。
身の回りの持ち物がウォーキング中心になります。さらに数ヶ月すると面白いことに気付きました。
朝起きたときに、前日のテニスで身体に筋肉痛があったり、深酒で多少だるくても仕事場に着く頃にはすべて解消しているのです。
朝起きて「ああ、今日はだるいから歩くの止めよう。」から「ああ、だるいから歩いていこう」に変わりました。これはほんとうです。
嘘じゃありません。いろいろ理由を考えたのですが、全身の血液の流れが良くなること以外にはないと思います。ぬるめのお風呂に長時間浸かるのと同じです。
さらに、歩き始めて20分ぐらいするといろいろな考えが頭に浮かんできます。仕事に関すること、食べ物のこと、哲学的なこと(無駄な内容)など・・・。
これが最大の歩く楽しみです。カントや池波正太郎が一人で毎日散歩していたのは、この「思いつき」が楽しくてやめられなかったのではないかと思う今日この頃です。
かとう歯科 院長 加藤昭浩