千葉県千葉市の加藤歯科・歯科医・歯医者では審美治療 ・メタルフリー治療・矯正治療 ・歯周病治療・インプラントの治療を行っております。
2012.8
院長 加藤昭浩
大学を卒業して何が一番イヤだったかというと、夏休みがなくなったことです。このクソ暑いと きに仕事をするってゼッタイにおかしい。特に鹿児島で仕事をするのは間違いです。たぶん、人間の 生理として、こういう暑いときは涼しいところで体力を温存するべきです。キチンと休むべきです。 20日ぐらいしっかりと休んで・・・。かとう歯科も休んでる間はスタッフに給料は出さなくて良い なら休むんですけどね。(笑) 夏休みになると小学生、中学生の頃には、宿題が出ました。「夏休みの友」とかね。こっちはぜ んぜん「友達」になりたくないんですけどね。(笑)一番友達になりたくないのが、「読書感想 文」君。もう、最低でした。でも、こいつは高校生になっても遊びに来ましたね。課題図書とかあ りましたが、残念ながら、1冊も読んでいません。今年はどんな課題図書があるんだろうとちょっと 調べたら、高校生向けに「パスタでたどるイタリア史」なんてありました。あれっ?ちょっと面白そ うじゃない。思わずアマゾンで注文してしまいました。(笑)あはは。昔から 本を読んでたらもうちょっと違う人生だったかもしれない。
イタリアでパスタを作るようになったのは11~12世紀ごろなんだそうです。 小麦を主食にするのは昔からでしたが、ラビオリのような小麦を水で練って薄 くのばしたパスタが文献に登場します。南のシチリア島あたりでは硬質小麦が 取れ、これを乾麺にします。北の方では生パスタに向く普通小麦が取れまし た。南の乾麺はジェノバに運ばれ、船乗りの定番メニューになったそうです。船 乗りにとって真水は非常に貴重です。調理用の水に海水を使えるパスタはうっ てつけだったわけです。今の感覚とは違い、甘いデザートとして食べられたよ うで、「マッケローニ」と呼ばれた名残がフランス菓子の「マカロン」になっているそうです。今はアルデンテですが、古くはもっと柔らかく茹でました。小麦は当然、高価なモ ノですから、小麦以外の食材を混ぜてパスタにしました。ジャガイモを混ぜてニョッキ、そば粉や カボチャを混ぜることもあります。 パスタと言えばトマトは当然のモノですが、トマトは新大陸からやって来ました。それまではチー ズを振り掛けて食べるだけでした。トマトソースは16世紀に生まれました。唐辛子をパスタに使う のはもう少し後になってからです。 皆さん、パスタ好きですよね。日本にパスタが広まるきっかけは、進駐軍が引き上げたあと、横 浜のホテルニューグランドの倉庫に大量のスパゲッティが残り、それをシェフが当時使える材料で作 りだした「スパゲッティ・ナポリタン」です。私が子供の頃、母親が作ってくれたのも「スパゲッ ティ・ナポリタン」でした。たぶん、どこの家でも最初のパスタ料理はこ れだったんじゃないかな。イタリアで「スパゲッティ・ナポリタン」を注 文しても通じないそうですが・・。
しばらくして、味の素から「ルーミック ミートソースの素」が出まし た。トッポジージョと山崎唯がコマーシャルしてましたので覚えています よね。みじん切りタマネギと挽肉を炒めて、マッシュルームの缶詰も入 れ、このルーを混ぜて煮込む。いまだに覚えています、この味は。(笑) 結婚して料理を本気で始めた頃、ちょっと本格的に料理本のレシピどおりに材料揃えて3時間ぐら い掛けてミートソースを作ってみたら、「ルーミック」とほぼ同じ味になりました。(笑) 料理って、夏休みの「実験」のテーマにしちゃダメなんでしょうか?「カレールーを使ったカ レー、ルーを使わずスパイスから作ったカレー、レトルトカレーの三者の味覚評価」とかね。「カ レールーに含まれる香辛料の比較」とかね。だんだんマニアックになりますが、立派な「実験」に なるんじゃないでしょうか?うちの子供たちの夏の「実験」は「石けん制作」「スポンジケーキの 膨張時に果たす砂糖の役割」「手作りビールにおける酵母の働き」なんてやってました。家庭科の宿 題があればポーチを提出できたんですけどね。(笑)
中学の同級生に千葉氏の末裔がいました。ほぼ1000年近く、3代前まで直系で、世が世なら千葉 の殿様です。高校の同期の女子が前田家の直系の家に嫁ぎました。こっちは今でも殿様です。(笑) 近頃はゲームやパチンコに戦国武将モノが登場します。「歴女」と呼ばれる戦国武将のファンもいる ようで、キャラクターグッズも売られています。 文化祭で資料展示するために「千葉君」にお願いして、家系図のコピーを貸し てもらいました。巻物は本家にあるそうです。千葉氏は桓武平氏の流れで、千葉 県文化会館の横にある郷土館(全く歴史的じゃない建物ですが)あたりに館があ りました。我々は「亥鼻山」と呼んでいて、子供の頃、自転車で遊ぶホームグラ ウンドでした。そういう縁もあり、千葉氏を非常に身近に感じていました。 千葉一族で一番有名な歴史上の出来事は、1180年石橋山の戦いに敗れた源頼朝が安房国に上陸 し、千葉常胤に源氏再興の加勢を求めるあたりでしょう。常胤は鎌倉を拠点にすることを進言した とされています。もともと平氏の出であるのに、源氏をバックアップする理由は保元平治の乱の混乱 期にあるのかもしれません。また、常胤には出家した息子がいるのですが、争いの中で平氏に伐た れた恨みがあるとも言われています。頼朝は東国武士を束ねて、平氏一門に勝ち、鎌倉幕府を開きま す。「いい国(1192)作ろう鎌倉幕府」という受験成句があまりに有名だからなのかもしれません が、鎌倉幕府の成立は1192年以前から権力、統治機構が存在しているので1185年とする説の方が 支配的なんだそうです。1185年に朝廷から守護、地頭職の設置、任免を許可されたからかな?
その千葉氏家系図がいつ書かれたのかわかりませんが、最後の代の記載が明治ですから、それ以 降でしょう。系図だけじゃなく人物の説明も書かれていましたが、漢文で書かれていたので中身は わかりませんでした。同じ桓武平氏なので、ちょっと遡って横にずれたところに平清盛も出てきます し、江戸時代の千葉道場の千葉周作も出てきます。たぶん、家系の中で有名人 は全部登場させたんでしょう。(笑) 今年の大河ドラマ「平清盛」が今一つ人気がありません。視聴率も高くない ようです。天皇や上皇の関係が複雑で、宮廷内のゴタゴタが大河ドラマには向 いていないんでしょう。ドラマの中で熊野詣での際に上皇の警護のために清盛 の弟である平家盛が付いていき、病気で倒れる場面がありました。熊野詣では 当時の上流階級の娯楽旅行ですね。平安後期、阿弥陀信仰が強まり浄土教が盛 んになる中、乱れた都を嫌い当時「浄土」とされていた熊野に行くのです。な んと、後白河院は34回も出掛けています。往復で1ヶ月は掛かるんで、何かよ ほど引かれるものがあったんでしょうか?
ロンドンオリンピックでサッカーが頑張っていますが、熊野で有名 なのは日本代表のユニフォームのエンブレムになっている八咫烏で しょう。日本神話では神武東征の際に熊野国から大和国への道案内を したとされる3本足のカラスです。日本サッカー協会の偉い人が那智勝 浦町出身だったんだそうです。(笑) 熊野は神仏習合で、祭神の熊野速玉男神(くまのはやたまのおか み)を薬師如来、家都御子神(けつみこのかみ)を阿弥陀如来、熊野牟須美神(くまのむすみのか み)を千手観音としています。昔の日本人は神様も仏様もあまり違わないと思っていたんでしょう。 その名残というワケじゃ無いと思いますが、みなさん「初詣」はどこに行きます?この近所なら浅 間神社ですかね。京成電車に乗って成田山新勝寺もありますね。明治神宮も行くでしょう。あれ? 神様も仏様もどっちでもOKなんでしょうか??正解は「どっちでもいい」んです。無理して分ける ようになったのは明治になって神仏分離令を出し、結果としての廃仏毀釈の影響です。ホントは分離 だけの目的なんですが、とんでもないことになりました。廃仏毀釈は地域によって差があるようで す。初めて鹿児島に行ったときに「寺院が無いなあ」と感じました。その理由は鹿児島では徹底し た廃仏毀釈が行われ、1616の寺院が壊され、2966人の僧侶が還俗したの だそうです。奈良の興福寺の五重塔は国宝ですが、当時の価格で25円で売 りに出され、ただの薪になるところだったそうです。
もうすぐ8月15日の「終戦記念日」がやって来ます。日本ではこの日 が第二次世界大戦が終わった日とされていますが、日本以外では9月2日 です。9月2日は日本がミズーリ号の甲板で降伏文書にサインした日で す。8月15日は昭和天皇の「戦争を止めます放送」が流れた日で、日本が やめたつもりになっただけで、現実にはまだ戦争は終わっていません。9月2日を「無条件降伏の 日」とするんじゃ、カッコ悪いということで、8月15日にもってきたんでしょう。ウソじゃないけ ど、国民の視線を無条件降伏からそらすためのずるさを感じます。 ゼッタイに課題図書にはならないだろうと思いますが、高校生以上の方に是非読んで頂きたい本 があります。私のお薦めは「戦後史の正体」孫崎亨著(創元社)です。何枚も目からウロコが落ちま すよ。北方領土返還交渉は最初から2島返還の話であったとか、「沖縄はアメリカが軍事占領を無期 限で続けて欲しい」と昭和天皇が言ったとか・・・。発禁(再版を刷らない)になる前に是非お読 み下さい。(笑)もう1冊お薦めの本があったのですが、発禁になってしまいました。「医療ビジ ネスの闇」という本です。資本主義の悪が医療業界にどういう影響かを書いたんですが、版元がいろ んなところから圧力を受けたんでしょうね・・。 歴史は常に現在の権力者を「正しい」として書かれます。反体制側の記録もあるはずですが、長い 時間経過の中ではいろいろと整理されてしまうのでしょう。大手メディアに振り回されることなく 「ホントの情報」で判断するようにしたいと思います。